プリニウスの博物誌 黒曜石 オブシディアン


プリニウスの博物誌 黒曜石について

プリニウスの博物誌に書かれた 黒曜石 オブシディアン のお話です。


第36巻(石の性質)にオブシディアンは記載がされています。
黒曜石<オブシアナ>
われわれは、ガラスの分類に黒曜石<オブシアナ>製品を加える。
これはオブシウスがエティオピアで発見した石に似ているのでそういう名が与えられている。
この石は大変色が黒くそして時には半透明である。
しかしガラスよりも曇った外観をしている。
だからそれを鏡として壁に取り付けると物の像というよりはその影を写す。
よくこれで宝石がつくられる。
古代ローマ時代に生きていたプリニウスさんのオブシディアンの話です。
オブシアナと表記されています。
そして、分類はガラス。
黒曜石は、火山が爆発し溶岩が急速に冷えることで作られる天然のガラス。
今のように、詳しい分類法や調べる道具もない時代にしっかりガラスの分類とされていたのですね。
そして”オブシウス”さんですが、どのような方なのか?
この時代から、オブシウスさんは存在しているのですね。
かなり古い時代の人なのでしょうか?
それともプリニウスさんの知り合い?
オブシディアンに関する資料を読むと、何処にでもこのオブシウスさんは書かれているのですが、いつの方か全くわからず・・・
多分、この博物誌の記載を元にそういわれているものだと思われます。
そして、 資料に頻繁に書かれているのはこの一文。

”鏡として壁に取り付けると物の像というよりはその影を写す”

黒鏡ですね。
この意味深な言葉の言い回しがそそられる!
ちなみに、この一文と一緒に資料でよく書かれていることといえば、

”松脂にこの石と他の2つのものを混ぜて火の上に撒くと、未来を予言する力をもたらす。”

オルフェウスのリティカ(石の本)※1と一緒に引き合いに出されているので、こちらの内容はリティカに掲載されているものなのでしょう。
(博物誌にこの一文は掲載されていませんでした。)

この文章、とっても意味深でそそられますよね。
石→鉱物は、いわゆる薬石として珍重されたり、また権力の象徴であったり、お守りであったり、錬金術というものもあって…
そしてもっとさかのぼれば生活の道具でもある。
人間の生活に密接に関わってきたもの。
そこに興味がある私。
石そのものの綺麗さの奥に、人間にはコントロールすることのできないものがあるのかなぁと思います。
パワーストーン的な意味や効果は、人間の視点によって歴史と共に研ぎ澄まされ、その研ぎ澄まされる段階での経験から得た結果であり知恵と私は考えています。
今後も、時間が進んでいく限り、この研ぎ澄ましの作業は人間によってなされ続けるのでしょう。
われわれは硬い黒曜石でつくった故アウグストゥスの像を見たことがある。
この物質はそういうことができるほど大きい塊も産する。
アウグストゥス(紀元前63年9月23日~紀元14年8月19日)とは…
ローマ帝国の初代皇帝(在位:紀元前27年~紀元14年)
志半ばにして倒れた養父カエサルの後を継いで内乱を勝ち抜き、帝政(元首政)を創始、「ローマの平和」を実現した。
wikiアウグストゥスより引用
像をつくる。
当時の像はやっぱり等身大のイメージがあるのですが。
削ってつくる。
そう思うとかなり大きい塊ですよね。
そして、
アウグストゥスその人も、珍奇なものとして黒曜石で作った四頭のゾウをコンコルドの神殿に奉納した。
一方ティベリウス帝の方は、エジプト総督であったセイウスの遺品にメネラウスの黒曜石像が含まれているのを知り、ヘリオポリスにおける太陽神の祭儀に返還した。
ゾウの等身大の像!
等身大かどうかは全くわからないですが、とにかく大きい塊であることは想像がつきます。
アウグストゥス自身が黒曜石の像となり、自身も黒曜石で作ったゾウの像(ぞうのぞう(笑))を奉納…
アウグストゥスさんと黒曜石は、ご縁が強かったのですね。
ティベリウス帝は、帝政ローマを創始したアウグストゥスの継承者です。
この時代のローマにおいて、権力者の像の材料として使われていたということを考えると、貴重なものとして扱われていたことがわかります。
この像は、それがガラスに似ていることから今日誤り伝えられているのだが、この石の起源がもっと古いことを証明している。
クセノクラテスは、黒曜石は、インドで、イタリアのサムニウム人の領地で、そしてヒスパニアの大西洋岸の近くで発見されると記している。
ガラスと間違われて扱われていることからと解釈すると、黒曜石はかなり以前から存在していますよと、プリニウスさんはお話しています。
イタリアのサムニウムとは、古代ローマ時代においてイタリア半島のアペニン山脈南部の地域イタリアのブーツのど真ん中を走る山脈です。
ヒスパニアは古代ローマの属州のひとつで、スペイン・ポルトガル・アンドラ・ジブラルタルあたりとほぼ重なる場所を指します。
そしてこのクセノクラテスさんですが、まったく不明です。
さてそして。
この”オブシアナ”の文章のこの先は、ガラスについて触れています。
また色づけされた”オブシアナ”ガラスがあって、これは食器類の材料として使用される。
ギリシア語で”血のように赤い器”と呼ばれる完全に赤く不透明なガラスなどもそれである。
さらに不透明な白ガラスやその他蛍石、ヒュアキントス(青色サファイア)、またはサッピルス(瑠璃)の外観を呈するものなどもあり、実際ガラスにはどんな色のものもある。
今日では、ガラスよりもしなやかで色づけさえできる物質は外にない。
この文章、いまいちわかり辛く感じているのですが私の読解力のないせいか…
”色づけされたオブシアナガラス”とは、
→黒曜石に色付けしたと素直に考えると、
  • ガラスの技術は当時あったので、ガラスでつくった品物に対するある出来上がりに限定された名称として商品名的にオブシアナガラスとしたのか?
  • 黒曜石のスタンダードカラー(思うにメインの黒)以外の色の大きな塊でつくられたものをオブシアナガラスとしたのか?
どっちか闇の中です。
引っかかったのは、血のように赤い器。
赤い黒曜石は存在しますが、う~ん。
赤くて不透明→黒曜石以外にも考えられる石も多いです。
ですが、こういうふうに考えられる幅があるのが、私的には楽しいのです。
そしてこのプリニウスの博物誌の楽しいところでもあります。
蛍石はフローライトのこと。
ヒュアキントスとは当時の名称はブルーサファイア
サッピルスは瑠璃→ラピスラズリのこと。
蛍石の色は色々ありますが、プリニウスさんの言う蛍石の色は何色だったのでしょう。
ブルーサファイアは透明感のある青でラピスラズリは透明感のない青と考えられるのかしら。
どんな食器だったのでしょう・・・
ガラスがとても貴重だったことがわかる文章です。
この先は、オブシアナの項目としてかかれていますが、当時のガラスについてのお話です。
しかしもっとも貴重なものとされているガラスは無色透明で、できるだけ水晶に似ているものである。
酒器の製造では、ほんとうにガラスが金銀のような金属を追い退けたけれども、ガラス器はその中へ冷たい液を注いでからでないと熱に耐えない。
とはいえ、水の入ったガラスの球器は、それを太陽に向けておくとひどく熱くなって衣類に着火することができる。
ガラスの破片を適当な温度に熱すると、それらを溶接することができる。
しかしそれだけのことである。
それらの破片を完全に溶かしてしまえば必ず別々の小球になる。
時には”目玉”と綽名され、時にはいろいろな型でつくられいろいろな色をしたガラスの小石はそうやってつくるのである。
ガラスを硫黄と一緒に熱すると、両者が合体して石の硬さになる。
当時、透明度が高いガラスほど価値が高いことがわかりますね。
お酒の入れ物はそれまで金属で作られていたものが、ほぼガラスの器に移行したこともわかる文章です。
当時はもちろん、耐熱性のガラスなどはなく(あったら怖い!)、一般的に冷たいものを注いでから熱いものを注ぐというやり方で、割れることを避けていたのですね。
そして器に水を入れて着火するということも、使っている間に偶然そうなってそれが認知されていったのでしょう。
硫黄と一緒に溶かす・・・
これ、よくわからないのですが、硬さがますとありますが、当時どのようなつくり方で作っていたか不明です。

※1 オルフェウスのリティカについては4世紀後半の古代ギリシャの代表的な宝石賛美書。774行の詩の形をとって記されているそうです。

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